神のいつくしみの主日の黙想
復活節第二主日、 神のいつくしみの主日でした。 神聖な静けさに包まれたお御堂で、 ほんのりとした香の香りが漂い、 沈黙の内に祈り、心静かに、 神のいつくしみを黙想しました。 「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、 私を思い出してください。」 (ルカ23・42) 徐々に思い浮かんできた、 命が尽きかけていた犯罪人の祈りでした。 十字架に付けられ、苦しみにいた犯罪人から、 傍らで十字架に付けられ、苦しみにおられ、 共にいてくださった 主イエスへの祈りでした。 犯罪人は自分の罪を悔い改め、 (ルカ23・41) 苦しみからの解放も、死からの救いも求めず、 主イエスがただ自分のことを覚えてくださっていれば それだで十分だ、と祈りました。 その日、彼は神のお恵みによって、 多くの人が見られなかったものを見られたのです。 神の御子、救い主であるメシア、王であるキリストに身を委ね、 御国と御心の行いを求めました。 「よく言っておくが、 あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」 (ルカ23・43) 主イエスが彼に応えられ、 何と素晴らしい約束でしょうか。 「生贄を望まれず、燔祭を喜ばれない神は、 悔い改める心を見捨てられません。」 (詩編51・18-19参照) 私が良い人だから神に救われるのではなく、 罪人である私が、神のいつくしみによって救われるのです。 それに先立ち、同様に十字架に付けられ、 苦しみにいたもう一人の犯罪人も、彼なりに、祈りました。 彼にとって、主イエスは何でもできる奇跡起こしのメシアであり、 とにかく、今の苦しみから解放して救ってくれ、と。 (ルカ23・39参...