投稿

8月, 2020の投稿を表示しています

主よ、我々の心は、あなたの内に憩うまで休まらない。

  8月28日、教会は聖アウグスチヌスの記念日を祝います。聖アウグスチヌス司教は、教会博士であり、4世紀乃至5世紀の最も重要な神学者・哲学者の一人です。聖アウグスチヌスを研究したことがある、あるいは少なくとも彼が残した数多くの名言のいくつかを聞いたことがある人も多いのではないかと思います。  その中で、特によく知られているのは、「主よ、あなたが我々をお造りになりました。ゆえに我々の心は、あなたの内に憩うまで休まらない」という名言ではないでしょうか。これは聖アウグスチヌスの最も有名な著作の一つである『告白』の第1巻の冒頭に出てきます。この不朽な名著では、聖アウグスチヌスが自身のキリストに向かう長い道のりとキリスト教への回心について論じています。  「我々の心は、あなたの内に憩うまで休まらない。」  誰もが落ち着きのない心を持っているからこそ、これは、誰にでも語りかけるようなシンプルでかつ直接的な形で私たちを主イエスキリストに導いてくれる、心強い言葉だと思います。  この落ち着きのない心は、私たちがそれを認識しているかどうかにかかわらず、神様を知りたい、そして神様とより深い関係を持ちたいという願望なのです。どれも簡単なことではありませんが、神様はいつも私たちのためにおられます。神様が聖アウグスチヌススの主キリストへの回心を待っておられたのように、主は両手を広げられ、私たちが主の内に憩うのを待っておられます。  もちろん、私たちがどのようにして主の内に安らぐことができるのかを問うのは自然なことですが、聖アウグスチヌスは『告白』の中で私たちに教えてくれていると思います。彼は次のように語ります。  「『人間の内にあることは、その人の内にある人間の霊以外には、誰も知らない * 』としても、その人間の内にある霊ですら知らない何かが、人間にはあるのです。しかし、主よ、あなたがご自分のお造りになった人間の内にあるすべてのことを知っておられます。・・・それでは、私に自分について知っていることを告白させてください。そして、知らないことも告白させてください。じっさい、私が自分について知っていることも、あなたが私を照らされるから知るのであり、私が知らないことは、私の闇があなたの御顔の前で明るい真昼のようになるまで、無知のままです。」(第10巻第5章)。 (*一コリント2・11の引用)  聖ア