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主イエス・キリストを通して再び始める

  父がくれた一冊の本  中学時代のある元旦の朝、父から一冊の本をくれました。橙色の表紙には、汗をかきながら崖を登っている少年のイラストが描かれ、「Press On!」(=あきらめずに一生懸命推し進める)という本のタイトルが大きな太文字で書かれていました。  著者の名前はもう覚えていませんが、欧米系の某カトリックの司祭が10代の若者たちに向け、これからの人生で、とりわけ信仰と霊的成長において直面する様々な課題について書かれた本です。  その本を読み始めると、興味深く感じ、その日の夜に一気に読んでしまった記憶があります。それ以来、毎年の年始に必ず再読し、自分自身の成長につれて毎回新たな感触や観点を受けることができました。  残念ながら、社会人になってから故郷を離れ、何度かの引っ越しを重ね、いつの間にかその本を紛失してしまいました。とっくに絶版になっているようで、何年も探していたのですが、今日の電子書籍の時代でさえもどう探しても見つけません。  その本を何度も読み返したことがあったため、全てではありませんが、幸いにも一部の内容やその司祭の教えを今でも覚えています。そして今でも毎年の年始に、まだ記憶に残っているその一部の内容を思い起こしながら、自分自身の反省と励みになる材料にしています。このようなことが今でもできるのは、やはり数十年前の元旦の朝、「これを読め」と言ってその本を渡してくれた父のおかげです。父ちゃん、ありがとう! 「過去の棚卸し」と「新たな抱負」  1年を終え、新たな1年を迎えるにあたり、程度の違いがあるでしょうけれど、私たちはおそらく一旦立ち止まって、過去一年の棚卸しをするでしょう。自分の失敗を認めたり、反省したりして、正直に自己評価します。  そして、そこから学び、より良い未来へ向かって進んでいくことを決意するでしょう。私たちは皆、より良くなりたい、より充実した人生を送りたい、より無私の心で互いを愛したい、と願っているため、新たな抱負を立てるのではないでしょうか。  問題は、なぜそうするのか、ということです。それは、私たちの心の奥底にある憧れのようなものが現れているからではないでしょうか。神様に与えられた人間の自由を行使し、より良い生き方を選択するよう、私たちを招いているものなのだと思います。しかし私たしは、自分たちの能力だけではそれを行うことができません