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お言葉どおり、この身に成りますように。

6 月11日(日)、三位一体の主日。 10時のミサ後、 聖ヨハネ会創立 73周年記念行事に参加しました。聖ヨハネ会の歴史・活動紹介のDVD上映と写真展示に茶話会が行われました。 DVDの内容は、桜町病院の建設発起と着工にこぎつけたものの、病院の完成を見ずに帰天した 戸塚文卿神父 のこと、聖ヨハネ会の創立および病院の経営を任せられた マザー岡村ふく のこと並びに、同修道会の活動の紹介でした。とても勉強になりました。 強く印象に残ったのは、病院が落成して開院後、マザー岡村(その時はまだ修道会に入っていなかった一般女性だった)はかねて観想修道会に入会する希望を実現しようとしたところ、「修道会を創立して、病院の経営を」と、当時の土井大司教に言われ、数日間祈り考えた末、長年抱えていた望みを捨て、神のみ旨に従ったことです。 そもそも、「観想修道会」(基本的に修道院の中だけで祈りと観想、労働を中心とした生活を送る修道会)と 「活動修道会」(修道院で共同生活を送り、祈りを大切にしながら、社会のさまざまな必要に応えるための奉仕や福音宣教など、広い分野で活動している修道会)とは、趣旨の異なった修道会で、どちらも神の召し出しによって歩む道ですが、マザー岡村は時間をかけて祈った上、ご自分のためではなく、神の栄光のために、ご自分の望みと違った道を歩むことにしました。また、経営者としての経験もまったくない一人の若い女性が病院経営の任を引き受けたことは、神に対する深い信頼とまことの謙遜が必要でした。 マザー岡村はその時、マリア様と同じように祈っていたのではないかと思います。    「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 (ルカ 1:38) また、神のみ旨に従ってその道を歩みだすと、思いがけない困難や試練が待ち受けているに違いないときっとそう思われ、その時、マザー岡村はこのように祈っていたのではないかと思います。    「わたしの願いではなく、み心のままに行なってください。」 (ルカ 22:42) そして、神の大きなお恵みによって、 桜町病院 は今日のように11診療科を通して、たくさんの人々の健康を支えるように大きくなりました。また、当時存在しなかった聖ヨハネ修道会も今日のように、様々な 事業と使徒職 を通じて、多くの病気の人、悩み苦

主に向かって心からほめ歌いましょう!

5月13日(日) 復活節第5主日。 汚れなきマリア修道会(女子修道会) の約20名ほどのシスターたちがカトリック小金井教会を訪れました。同修道会創立200周年の記念を祝っているシスターたちは10時のミサにあずかり、聖体拝領の際にベ トナム語の聖歌を歌ってくださいました。 歌詞は分からなかったが、シスターたちの透き通ったきれいなアカペラの歌唱で、神聖な聖体拝領にふさわしく、美しいメロディーの聖歌を心から歌われていたのがよく伝わり、とても素晴らしかったです。 ミサ後、一人のシスターと会話していた時、素晴らしい歌を聞かせていただいてありがとうと、わたしが言おうと思ったところ、「教会の皆さんはすごいですね。ミサで聖歌を歌っていた時、皆さんの力強い歌声で心から神さまをほめたたえているのをよく伝わってきました。感動したよ。」と、シスターが本当に感心した様子で先に言いました。 旧約聖書から新約聖書まで、確かに 聖歌を歌うことについての 記載と教えがたくさんありますが、聖歌を歌うことによって何が得られるのか使徒パウロの手紙から教わることができると思います。 「キリストのことばがあなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」 ( コロサイ3・16) 教えと学びと共に、聖歌を歌うことによって、キリストのみことばに深く根ざすことができるのです。 また、 「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」 (エフェソ5・18-19) わたしたちは一つの共同体として、神さま に向かって心からほめ歌うことによって、お互いに励み合い、お互いの信仰を強め合うことができます。 心から聖歌を歌いなさいと、使徒パウロはわたしたちに教えただけではなく、ご自身もそのようにしていました。 パウロとシラスは福音宣教のため、 鞭で打たれ、牢に投げ込まれ、足に足枷をはめられた時、彼らは何をしていましたか?そう、神さまに向かって歌っていました! 「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌を歌って神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。