投稿

8月, 2021の投稿を表示しています

使徒パウロとオリンピック

 子供の頃から、4年に一度開催される夏季オリンピックを見るのが大好きです。個人的に好きなスポーツの個別の世界大会を見るのも好きですが、世界中のトップアスリートたちが集まって一斉に競い合う数多くの競技をたくさん見ることができるのは、オリンピックだけです。   懸命に頑張る選手の姿にパウロを重ね合わせる   アスリートたちが皆全力を尽くし、世界トップレベルの身体と運動能力や精神的な強さを最大限に発揮し、最高のパフォーマンスや技術を披露していく姿には、いつも心を動かされ、感動を受けています。  東京2020オリンピックも2年前から、大いに楽しみにしていましたが、とても残念なことに世間の賛否両論の中で、コロナ禍の暗黒の闇に覆われた無観客の大会となってしまいました。アスリートたちにとっても、このような未曾有の状況において、これほど精神的な強さが大いに試される大会はないのではなかろうか、と思います。  しかし、このような状況でも開催された以上、彼らはひたすら目標に集中して頑張って行かなければなりません。努力に満ちた長い歳月を経てここまで誠実に辿り着いた世界中のアスリートたちは、どのような逆境に直面したか、どれほどの艱難辛苦に耐え、どれほど精神的に試され、乗り越えてきたかは、本人たち自分自身のみ知ることです。  そのようなわけで、オリンピックで懸命に頑張っている多くのアスリートたちの姿を見ると、いつも使徒パウロの教えを思い出され、改めて反省し、学ばせてもらっています。 パウロは陸上競技を例えに使っている  使徒パウロは、いくつかの書簡の中で、何度も陸上競技の世界の比喩を使っています。3つの書簡では、全力で走るイメージを用いて、霊的な成長と奉仕の活発で合法的な追求を促しています。また、自分の成長と奉仕について、4回も、そのような走りに例えて語っています。  紀元前776まで遡るオリンピックは、運動能力、練習や鍛錬、および競争力の頂点を表しています。パウロはもちろん古代オリンピックのことを知っていましたし、オリンピックの前後の2年に一度のコリントス地峡で開催される「イストミア大祭(競技会)」(古代ギリシア四大競技会の一つ)もよく知っているはずなのです。  そのため、霊的に豊かに恵まれてはいますが未熟なコリントの信者たちに、パウロはこう書いています。「あなたがたは知らないのですか。競技